菅首相はなぜ辞めるのか②
昨日の「菅首相はなぜ辞めるのか①」の続きです。
首相に求められる要素には「人気」「判断力」「カリスマ性」「政策」「実行力」「リーダーシップ」「人望」「健康」などいろいろあるんだろうけど、私はそのうちの「人気」「人望」「カリスマ性」なんかはどうでもよくて、「政策」の良し悪しで判断したいと思っています。
もちろん、すべての政策の良し悪しを総合的に判断できれば一番いいわけですが、残念ながら私はそんなに賢くないので、自分の中で優先順位が高い政策について、良し悪しを判断することになります。
となると、今の私の関心事は脱原発です。理由は、いまが千載一遇の機会だと思うから。
エネルギーの分野に限らず、どんな分野にも矛盾や理不尽、硬直的な問題が存在していますが、政策を抜本的に変えるのは難しいですよね。あれだけ話題になった八ツ場ダムも、その後は何事もなかったかのように工事が進んでいます。(詳しくは保坂展人氏の「八ツ場ダムはなぜ止まらないのか」がわかりやすいです。前原氏や馬淵氏が首相候補なんて勘弁してほしい…。)
その点、原発に偏ったエネルギー政策を見直すのは、多少なりとも世論の関心が集まった今しかないはず。なので、今は脱原発が私の優先順位の上位に来ています。菅首相についても、私は原発についての政策で判断することになります。
判断するためには、メディアを通さずに一次情報に触れることが不可欠。そんなわけで、菅首相のプログや、こないだの日曜日に行われた懇談会の動画を見ました。
これは自然エネルギー推進派の人たちばかりの懇談会だし、細かい部分をつっこめるような専門家もいないので、菅首相にとってはアウェイではなくホームだったと思います。抽象的な話も多くて、ふわふわした内容だったことは間違いありません。
この懇談会に関するニュースでは、なぜか「自然エネルギー推進庁構想」がよく取り上げられていますが、私が印象に残ったのは首相の下記の発言でした。聞き書きなので正確ではないかもしれませんが、起こしてみます。
今まで化石と原子力にウエイトを置いてきたエネルギー政策に、もう2本の柱を加える。もう2本の柱がどんどん広がっていけば、結果として、化石にも原子力にも頼らないという選択が可能になる。最終選択は国民の皆さん。行政の責任は、国民が選択できるようにもう2本の柱を積極的に進めていくこと。少なくとも過去30年間に原子力に使ったお金やエネルギーに相当するくらいの力を使っていく。10~20年後に国民が最終選択できるようにすることが、いまの政治の責任であると思う。
ここでいう「2本の柱」というのは、自然エネルギーと省エネルギーを指すみたいです。私は正直、菅首相の普天間問題への対応とか、原発事故に関する情報公開とか、PC監視法についてはとても支持できないけど、「原発だけでない、エネルギーの新たな選択肢を提供する」という点については支持するし、それができるまでは辞めて欲しくないとさえ思います。
ちなみに、自民党の石原幹事長がこんな表現をしたそうな。
これは、必ずしも間違った表現ではないと思います。確かに集団ヒステリーですわ。でも、これまで原発を推進してきた人々も、新興宗教の熱心な信者みたいな盲信ぶりだったと思うし、「集団ヒステリーVS宗教」だったら、まだ集団ヒステリーのほうがましなような気がします。
でも、もし本当に集団ヒステリーが続いて「原発全廃」となったら、負け馬に乗る私はきっと「原子炉1つぐらいは残しておいてもよいのでは」とか考えるんやろな…。なぜなら、選択肢がなくなるから。菅首相の言う通り、今は化石と原発しかなくて、選ぶことができないのが問題なわけです。
まあ、残念ながら、そんな心配が必要な事態にはならないと思いますが…。
長くなりましたので、続きは次回にします。
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