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2011年10月28日 (金)

大豆ミートとベジタリアン

知り合いから大豆ミートをいただいていたので、料理に使ってみました。

大豆ミートとは、お肉の代わりとして料理に使うことのできる大豆食品。牛肉などのお肉を食べたくないベジタリアンや、マクロビオティックを実践している人たち、そして動物性脂肪の摂り過ぎを心配している人たちなどの間でニーズがあるようです。

私は牛肉も豚肉も鶏肉もよく食べるし、現時点ではベジタリアンになる予定はないんですが、将来的にはベジタリアンを目指すのもありかなーと思っています。ベジタリアンが必ずしも健康的だとは思わないけれど、やはり無節操な殺生に加担したくないという思いは絶えず心の隅にあります。大豆ミートをおいしく調理できれば、ベジタリアンへの道が開けるのかも!期待と不安を抱きつつチャレンジしてみたのでした。

今回使ったのは、三育フーズの国産大豆ミート厚切りという商品。なんとなく濃い味付けのほうがいいような気がしたので、梅肉を塗って揚げたカツと、醤油・みりん・砂糖で甘辛く炒めたものの2品を作ってみました。

で、感想としては、意外とおいしくできました!大豆のにおいはほとんど気にならなかったし、食感はささみやむね肉に似ているような気がします。そうか、大豆由来でもお肉みたいに食べられるし、ベジタリアンになっても大丈夫かな、と少し感動したんですが・・・。

うーん、やはりどこか違和感が・・・。

そもそも、ベジタリアンというのは、何らかの思想・信条に基づいて動物性食品を避けているわけでしょう?それなのに、カツを食べていいのか?中身がいくら大豆だとはいえ、そもそもお肉的な料理を食べたがる時点で何かおかしくないだろうか。菜食主義なら肉を食いたがるな、と思ってしまう。てか、肉食いたいんなら普通に肉食べろよ、と。それが肉に対する礼儀ではないのか、と。

ベジタリアンになるのであれば、本来は「お肉的な料理なんて食べたくもない。たとえそれが大豆でできていても」と考えるべきなんだと思う。もちろん、そこまで完璧を求める必要はないし、大豆ミートを食べることによって少なくとも肉類の消費量は減るはずなので、意味があることだとは思うんですが・・・。どうしても少しばかりの違和感は残ります。

結局、ベジタリズムを肉食に対するアンチテーゼとして捉えるのか、食生活のあるべき姿として捉えるのか、という問題なんでしょうね。前者だとしたら大豆ミートは素晴らしい存在だし、後者だとしたら違和感たっぷりの存在となります。下品なたとえでいうと、女性とセックスしない代わりにダッチワイフを使っていいのか、みたいな。

あと、食べ終わってから気づいたんですが、私はカツをつくった際、何も考えずに卵を使ってしまいました・・・。ほら、カツを揚げるときって、小麦粉・卵・パン粉の順でまぶしていきますよね。

でも、よく考えたら、ベジタリアンにとって卵はビミョーです。ベジタリズムには実はいくつかの考え方があって、例えば乳製品・蜂蜜・卵をOKとするかどうかによって分類されます。無精卵の場合は殺生にはならないだろうけど、動物性であることは間違いないですよね。最も厳格なベジタリアンであるヴィーガンにとっては、牛乳も蜂蜜も卵も、食べてはいけない食材なわけです。

なので、卵を使ってしまった時点で、厳格なベジタリアン向けの料理としては失格。もちろんタルタルソースやマヨネーズを使うこともできません。味付けにめんつゆを使うのもNG。なぜなら、めんつゆにはたいてい鰹節が使われています。ああもう、どないせいっちゅうねん。

以前、動物性脂肪不使用を謳ったカレールーをいただいたとき、普通に牛肉を入れてカレーを作ってしまったことを思い出しました。せっかく不使用だったのに・・・。でも、仮にお肉を入れなくて作ったとしても、仕上げに牛乳とか生クリームを入れたらアウトだし、とろけるチーズを入れてもだめ。もちろん、生卵を落とすなんてもってのほか。ああ、ヴィーガンへの道には罠がいっぱい・・・。

ベジタリアンへの道は険しい、と思いました。将来的に目指すとしても、やはりヴィーガンは無理かな・・・。個人的には、きっこ氏がブログで提唱していた「自分の手で殺せる生き物だけを食べよう」という形が現実的かなあと思います。

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2011年10月21日 (金)

改革派官僚ってなんですか?

少し前の話になりますが、経済産業省の官僚である古賀茂明氏が辞職したというニュースがありました。「日本中枢の崩壊」「官僚の責任」などの著書で知られる古賀氏は、公務員制度改革に熱心であり、官僚の中でも確かに異色の存在だったようです。

私は古賀氏の著書をまだ読んでいないので、あまりえらそうなことは言えないのですが、それでも気になったことが1つだけあります。それは、古賀氏辞職のニュース記事のほとんどで「改革派官僚」という枕詞が当たり前のように使われていたこと。

言うまでもない話ですが、私は今の公務員制度が完全なものだなんて露ほども思ってないし、官僚に全幅の信頼を置いているわけでもありません。ただ、この「改革派官僚」という安易な表現にはものすごく違和感がありました。なんですか、「改革派官僚」って。

その表現を聞いたとたん、頭の中に「改革の中身は何なの?」「どの分野の改革なの?」「どんなふうに変えようと思ってるの?」「変えたことによってどうなるの?」などの疑問があふれました。それらの疑問にちゃんと答えてくれる人がいったいどれだけいるんでしょう?公務員制度改革にしても原発事故対応にしても、かなりテクニカルで難しいテーマだと思うんですが。

問題は2点あると思います。1つ目はテーマを単純化してしまっているという点。

「改革派」の反対はおそらく「守旧派」なんでしょうが、そのような2項対立の構図にしてしまうと、読み手は思考停止に陥ってしまいます。なんとなく「改革派」が正義の味方で、「守旧派」は悪者のようなイメージがありませんか?本当は細やかな議論を丁寧に積み重ねていかないといけないはずなのに、単なる善悪二元論の乱暴な議論に終始してしまう可能性があります。

2つ目は、人物を単純化してしまっているという点。ひとはもっと複雑で多面的な存在だと思います。

だいたい、経済産業省は貿易・エネルギー・産業振興などめちゃくちゃ広い分野を扱っているわけで、確か特商法とか独禁法なんかも経済産業省の管轄だったはず。それら1つひとつの分野について、「改革派官僚」は全部「改革派」なのでしょうか?「この分野では改革派だけど、別の分野ではそれほど改革派ではない」という面があって当然なはず。ほんまに改革派やったら天皇制も自衛隊も全部解体せえよ、とか毒づきたくもなります。

念のために書いておきますが、私は古賀氏について詳しく知っているわけではないし、彼の提唱する「改革」に反対しているわけではありません。天下りは禁止してほしいし、東電にはしっかり責任を取ってほしいと思っているので、むしろ賛成に近いのかもしれない。

ただ、「改革派」なんていう言葉は安易に使ってほしくない、と強く思っています。いい加減、思考停止はやめましょうよ、と思う。面倒くさいけれど、中身についてしっかり考えないと、口のうまい人たちにまたまた利用されてしまいますよ。

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