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2012年1月12日 (木)

《書評》 「憲法九条」国民投票 今井一著 集英社新書 ★★★☆☆

「原発」国民投票に関する賛否が分かれる昨今ですが、旗振り役のみんなで決めよう「原発」国民投票プロジェクトの事務局長を務めているのが、ジャーナリストの今井一氏。

どこかでお名前聞いたことあるなーと思っていたら、私は3、4年ほど前に今井氏の著書を読んでいました。それがこの本。タイムリーなので、以下に当時書いた読書感想ノートをほぼそのまま載せようかと思います。

「憲法改正論議を主に九条に絞った上で、論点を整理して、改憲派・護憲派の主張をそれぞれバランスよくまとめた本」というのが一般的な認識でしょうか。ただ、改憲を望んでいると思われる著者のスタンスが露骨に出ているので、バランスは悪いです。あくまでも「改憲派がつくった本」として読む必要があります。

著者は、非常に明快な論理の持ち主であり、きっといい加減なことは許せない性格なんだろうと思います。九条問題についてもそのスタンスははっきりしていて、とにかく白か黒。あいまいな部分は認めない、という姿勢を強く感じました。

同時に、あいまいさを認めない、ガチガチな考え方の怖さも印象的でした。私自身は、論理が少々破綻してようと、手続きがいい加減であろうと何だろうと、結果として戦争に至らないことが最も大切だと思っています。要は、人が死なないことが大事であり、そのために論理が少々破綻したところで一向に構わない。これはきっと性格の違いなんでしょうね。あいまいさを認めない人たちとの議論は難しいのかもしれません。

著者は国民投票法案の成立を強く訴え、法案自体に反対する護憲派を強く批判しています。ここで感じたことは、著者の権力側に対する信頼です。著者の視点には立憲主義という要素がほとんど感じられず、権力への無防備な信頼が見えてしまいます。その点、護憲派は、権力側がつくるルールはそもそも信用していないんですよ。

古い話ですが、みなさん覚えているでしょうか。ソウルオリンピックでは鈴木大地選手がバサロ泳法で金メダルを取りましたが、その後すぐにルールが変わり、バサロで泳げる距離が制限されてしまいました。ほとんど普遍的な流れとして、権力を持っている人たちは、自分たちの思い通りになるルールをつくります。これは倫理うんぬんの問題ではなく自然なことであって、だからこそ権力側がつくるルールには安易に賛成してはいけないわけです。

なので、「護憲派が反対するのは無責任だ」とする著者の主張はとてもとても一面的です。護憲派が持つ権力への不信と、権力によるこれまでの悪しき実績について著者が全く触れないのは、意図的にせよ無意識にせよ、かなり悪質であると思います。

ボクシングの亀田興毅VSファン・ランダエタの初戦を観てもわかるとおり、私がメキシコ人ボクサーだったら絶対日本では戦いたくないと考えます。だって、フェアじゃないんだもん。

また、著者が提示する「憲法改正」国民投票の二択は本当にひどいです。1億もの人々が1人ひとり、いろいろな意見を持っているのに、勝手に分析して極端な2択を提示し、選択を迫る。小泉氏の郵政民営化と同じ手法です。世界はもう少し複雑で多様で豊かですよ、本当に。

最後に、著者に決定的に欠けている視点。著者は解釈改憲を強く批判し、現実と条文を一致させることが大切であると主張しています。

では、改憲後に再び解釈改憲が行われないという保証があるんでしょうか。ゆるくなった条文をさらに解釈改憲して、結果としてさらに再軍備の方向に進む、という危惧を抱くのは自然ではないでしょうか。その点に関する言及は全くなく、非常にアンフェアな本だと感じました。著者が頭が良い人であるのはわかるんだけど、私とは相容れないなという印象を持ちました。

今井氏って、原発を止めたい人というよりも、どちらかというと国民投票をしたい人なんでしょうね。そして、戦後70年近い平和憲法を守る運動というのは、改憲勢力による国民投票への流れを阻止する運動、という一面もあったわけです。

昨年6月にすり替え要注意を書きましたが、この時点では恥ずかしながら、国民投票というところまでには考えが及びませんでした。何らかのすり替えは行われるとは思っていましたが、まさに「私なんかでは思いもつかないような」ところだった・・・。

実際のところ、「原発」国民投票が実現するかどうかはわからないし、実現したところで結果がどうなるかもわからない。脱原発を実現できるかもしれないし、国民が民主主義について学ぶいい機会になる、という側面も確かにあるのかもしれません。

ただ、国民投票実施に向けて運動に取り組んでいる人たちの中には、本気で原発を止めたいと思っていると同時に、憲法九条を変えたくないと思っている人も多いはず。それだけに、少し切ない。彼らがカッコウのヒナにせっせと餌を運ぶ親鳥のようにならなければいいんですが・・・。

私は原発は即時止めてほしいし(地震などに対する安全性というよりも、廃棄物を出すからです)、憲法九条も変えてほしくないと思っているので、なんだかすっきりしない日々です。正直、普通にこれじゃあかんの、と思ってしまう。国民投票に賛成の人・反対の人を問わず、せめて自分の頭で考えようとする人が少しでも増えたらいいなーと思います。

次回に続きます。ちなみに、こちらに補足・訂正を書きました。(2月9日)

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コメント

改憲のための国民投票法との絡みで不安を持っておられるというのはわかります。私自身同じ不安があります。改憲のための運動なら 賛同人にはなりません。

権力者が都合の良いように法律を定めて行くので
信用出来ないというのもとても良くわかります。

ただそれでも分からないのは
「国民投票」を封じ込めなければならない社会で民主主義は成り立つのでしょうか?

民主主義を育てようとしない風土なのでいつまでも
このようなムラ社会国民性なのでは?

いつかはそのリスクを乗り越え議論が巻き起こる国民になる必要があると思うのですが。1000万人アクション 私も署名させてもらいました。でもここに議論はあるのでしょうか?私は空気で動くのではなく理」で動く国民にならなければムラはなくならないと思うのですが。

niji_2011さま、コメントありがとうございます~。

民主主義って難しいですよね~。私も含めて、みんなが理で動く国民になったらいいなーと私も思っています。

「国民投票」の封じ込め、については、更新したブログにあれこれ書いてみました。

何をしても結局は骨抜きにされ 
都合のよいように修められてしまう。
市民運動なんてするだけ無駄。
そんな空気が満ち満ちています。
私よりも賢い私の周りの人々は
皆そう言います。

結局ここでも
そう説得されているのでしょうか。

優先順位について教えて下さい。
どのような展望を持っておられますか?

是非お聞かせ下さい。

niji_2011さま。コメントありがとうございます~。

するだけ無駄だとはまったく思わないですよ!何かを実現したい場合、パワーと方向が大切だと思っています。パワーは大きければ大きいほどいいけど、方向はどっちむきでもいいわけではないですよね。

改憲とのつながりや骨抜きうんぬんにしても、その可能性をわかったうえで運動するのと、やみくもに運動するのは違いますよね。国民投票運動は少しやみくもに見えたので、やるのであればわかった上でやってほしいな、と思って書きました。

いまさら憲法との関係や選択肢の設定で大騒ぎしていたのにびっくりしてしまったので・・・。てっきりわかった上だと思っていたんですが。

優先順位は難しいですが、結局のところ選挙からは逃げられない、とは思っています。次回の選挙で判断できるように、再稼動を進めた議員を見極めておくことが大切かと思っています。もちろん、即時停止と再稼動阻止を広く訴えることも大切ですよね。

ありがとうございます。

様々な問題をクリアー出来なければ
脱原発は実現しないでしょうね。

政府は現世代の説得は諦め
次世代で推進を図れば良いと
考えているらしいという記事を読みました。

あちらは賢いです。
太刀打ち出来ませんネ。


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