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2012年3月24日 (土)

《映画評》 キャタピラー ★★★☆☆

主演の寺島しのぶがベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を獲ったとか何とか。話題作だし、結構期待して観たんですが、結果的にはかなり期待外れでした。

以下、ネタバレを含みますので未見の方はご注意ください。

発想は確かに面白いんですよね。手足を失って帰ってきた夫と、彼を献身的に世話する妻。2人の関係性とそれぞれの性的な欲求が、時間の経過とともに少しずつ変わっていきます。そして、その関係性を取り巻いているのが、負傷した夫が村じゅうから「軍神」として扱われている、という特殊な世界なわけです。

でも、関係性の変化というテーマで考えたら、塩田明彦監督の「月光の囁き」のほうがはるかに奥が深いしえろいし面白いんですよね。比べる対象としては適切ではないかもしれないけど。

では、メインテーマである「反戦映画」としてはどうなのか。残念ながら、その視点で観ても底が浅く感じました。まあ、普通に「戦争は悲惨だなあ」とは思ったので、それだけで十分なのかもしれませんが・・・。

だいたい、ラストに原爆の映像が長々と挿入されて、元ちとせが歌う「小さな女の子」がご丁寧に歌詞つきで流れるんですが、そもそもこの作品に原爆は大して関係ないやろ。夫は原爆で怪我したわけでもなければ、原爆で死んだ人物も登場しないんだし。ましてや、子どもなんてほとんど登場しないわけで。

正直、元ちとせの歌を聴きながらぽかーんとしてしまいました。この映画の主題歌としてではなく、単独で聴いたら心に響く名曲なのかも、と考えたらすごく残念でした。

やはり、少し前に「この世界の片隅に」を読んでしまったことが大きいと思います。(こちらに書評を書いています)何もこれみよがしな演出をしなくても、当時の人々を丁寧に、淡々と描くだけで十分過ぎるほどの反戦作品になる。それを知ってしまった今となっては、残念なからこういう作品を観ても薄っぺらく感じてしまう。

寺島しのぶも、正直どこがいいのかよくわからなかった・・・。どちらかといえば、夫役の大西信満のほうが熱演だったと思うんだけど。海外で評価されたのは、外国人にとってわかりやすい日本人妻のイメージだったからでは、などというイヤミなことも考えてしまいました。シェー!

あと、ストーリーとはあんまり関係ないんですが、篠原勝之は太りすぎやろ。食料不足が描かれている中で、あの体型は何とかならんかったんかな。きっと観た人は全員ツッコんだのではないかと思います。

てなわけで割と酷評なんですが、若松監督の前作「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」は大好きで★5つなんです。観たあとずっと登場人物の物まねをしていました。観るべきなのはこちらではないかと思います。

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2012年3月21日 (水)

ぼくのぱん わたしのぱん

昔からずっとパンを焼いてみたかったのですが、我が家にはオーブンがないので諦めていました。私は大学に入ったときからずっとトースターレンジというやつを使っています。これは「トースター+電子レンジ」なので、オーブン機能がないわけです。

パンのレシピにはたいてい一時発酵だのオーブンを何度に設定だのと書いてあります。トースターではそんな設定ができるはずもなく、「パンづくりはお金持ちのやることだ」などとすねていたのでした。

ところが!こちらのブログを拝見すると、オーブントースターでもパンが焼けると書いてある!しかも「呆気なく」って!ほんまかいな、ということで、さっそく試してみました。

結果としては・・・焼けました!

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うん、なんかちょっと焦げてるし、見た目はあんまりふっくらしてないけど、食べてみたら確かにパンでした。わーい!お味のほうは、よくパン屋さんで売ってる「ハイジの白パン」みたいな感じ。強力粉でつくったらとてももっちりな感じになりました。

トースターで簡単に焼けるのも魅力的ですが、何よりも手間がかからないのが素晴らしいと思いました。一時発酵やらなんやらも必要ないし。焼くときにくるみを入れてみたり、いろんなアレンジもできそうです。

ただ、薄力粉でも一応挑戦してみたのですが、なんかピザの生地みたいなパンになって、個人的にはあまり好みではありませんでした。強力粉のほうが価格は高いけど、それでもわずか数百円。私は1キロ180円くらいで買いました。それにこちらのドライイーストがたくさん入って300円くらい。パンってこんなに原価安かったんだ・・・とちょっと愕然としてしまいました。

まあ、市販のパンはもっといい小麦粉と酵母を使ってるんだろうし、おいしく焼く技術も持ってるわけですけどね。でも、荒削りとはいえ、おうちで焼きたてのパンが食べられるのはなかなか幸せなことでした。興味があればぜひ。

ちなみに、今回のタイトルは絵本からとりました。あんなふうにつくれたらいいな・・・。

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2012年3月 7日 (水)

《書評》A3 森達也著 集英社インターナショナル ★★★★☆

福島第一原発の事故以来、原子力や放射能に関する専門家がたくさんメディアに登場しました。その中には「メルトダウンはあり得ない」と説明していた人や、「放射能は体に良い」と主張していた人もちらほら見られました。彼らに対しては、特に脱原発の立場からは「御用学者だ」として厳しい批判が行われています。

御用学者の定義はさておき、原発の分野において、何らかのバイアスのかかった専門家が存在していることは、おそらく事実なんだろうと思います。

では、原発の御用学者の存在を目の当たりした私たちが、その事実から学ぶべきことは何でしょうか?それは、単に原発村を厳しく批判して溜飲を下げることなんでしょうか?

本書はオウム事件に関する作品なので:原発とは無関係だし、非常に重量級の内容です。オウム事件に詳しくない私ごときがあれこれ言えるような本ではないんですが、今回は「御用学者」という視点から少し書いてみたいと思います。

著者によると、今回の「A」は荒木氏でもオウムでもなく、麻原彰晃の「A」。本書で言及される内容は多岐に渡りますが、主となるテーマは麻原裁判の異常性についての指摘と、オウムが引き起こした一連の犯罪に対する考察でした。

著者の麻原裁判に関する主張は、実はとてもシンプルに思えました。すなわち、「まともで適正な裁判をしてくれ」という1点に尽きるのではないかと。

麻原裁判は被告人の死刑が確定し、既に結審してしまいましたが、そのプロセスは従来の刑事裁判と比べて、極めて異例な形で進みました。その一例として本書で挙げられているのが、被告人である麻原氏の異常な言動です。

麻原氏の言動は裁判の途中からおかしくなってしまい、家族や弁護人とまともなコミュニケーションが取れなくなっていたことが本書で示されています。家族や弁護人とコミュニケーションが取れないんだから、当然犯行に関するまともな証言が得られるわけがないし、裁判の戦略を立てられるわけもない。

で、麻原氏がおかしくなった理由が「精神疾患」によるものなのか、「死刑を逃れるための演技」によるものなのか。そこが、裁判を進めるかどうかを判断する上での大きなポイントになっていました。

勘違いされがちですが、著者の論点は、心神喪失者の行為について定めた刑法39条ではなく、刑事訴訟法314条の1。「被告人が心身喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない。」という条文についてです。

つまり、事件を起こしたときの麻原氏の責任能力の話をしているわけではなく、裁判中の麻原氏の訴訟能力についての話をしているわけです、このあたりは、一般的に混同されがちな部分ではないかと思います。

精神疾患なのか演技なのかは素人ではわからないわけで、当然専門家の出番となるはずですが、裁判所による精神鑑定はなぜかなかなか行われない。その間に弁護側は独自に6人の専門家に被告人との面会を依頼しますが、全員が「訴訟能力なし」と鑑定。彼らの多くが、適切な治療を行えば回復する可能性が高い、と判断していたとのこと。

治療によって回復したら、当然弁護側とも検察側ともコミュニケーションが取れるだろうし、事件についての証言も得られるはず。たとえ結果的に死刑になるとしても、判決が確定するまでのプロセスは法律に基づいた適正なものでなければおかしい。著者はそうした点を指摘して、裁判を一時停止して治療を行うことを主張しますが、私もそれはまっとうな意見だと思います。

さて、前置きが長くなりましたが、ここでようやく登場するのが西山詮医師。弁護側が依頼した6名による鑑定のあと、裁判所からの依頼で麻原氏の鑑定を行った西山氏は、麻原氏を詐病とみなすとともに、「訴訟能力あり」と判断します。結果として、麻原氏が治療を受けるという展開はなくなり、本人が大したことを語らないまま裁判は終わってしまいました。

ここで最初の話に戻りますが、原発の御用学者の存在を目の当たりした私たちが、その事実から学ぶべきことは何でしょうか?個人的には、すべてを疑ってみること、そして少し想像してみることだと思います。

言うまでもない話かもしれないけど、御用学者はきっと現在もありとあらゆる分野に存在しているし、過去にも山ほど存在していたんですよ。「専門家の見解」や「科学的な知見」なんてものは、政治やお金やイデオロギーや世論などの力によって簡単に歪められてしまう、ということですね。

西山氏がいわゆる「御用学者」だったかどうかは私には断言できません。ただ、たくさんの人が亡くなったオウム事件の裁判が、もしも御用学者の存在によってインチキな形で終わってしまったとしたら、それはとても不幸なことだし看過できないことだと思います。

原発事故をきっかけに、世の中の仕組みに関心を持ち始めた人はきっと多いはず。個人的には、脱原発だけに留まらずに、もう少し想像力を広く持ってほしいなーとついつい思ってしまいます。原発の御用学者については厳しく糾弾するのに、司法の御用学者については疑問すら持たない、というのではバランスが悪いですよね。

さて、麻原裁判は結局、一般的な刑事裁判と比べて異例尽くしのままで終わってしまいましたが、最後に著者の言葉を引用しておきたいと思います。

誰かに適正な裁判を受けさせる権利を守ることは、僕らが公平な裁判を受けるための担保でもある。

結局のところ、自分が当事者になるケースを想像できるかどうかなんだと思う。私は別に罪を犯す予定はないんですが、自分や家族が加害者なり被害者なり被告になる可能性を常に想像してしまうし、その場合にはまともな裁判であってほしいと思います。ただでさえ冤罪やら国策捜査やら別件逮捕やらが横行してる世の中なんだし。

ちょっと長く書きすぎました。本書は著者による麻原裁判の異常性についての指摘と、オウムが引き起こした一連の犯罪に対する考察が主なテーマになっています。後者の考察もとてもとても興味深いので、気が向いたらまた感想を書くかも。分厚い本ですが、頑張って読んでみることを最後にお勧めしておきます。

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