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ニュース

2016年6月23日 (木)

え、激しく怒ってる?

話題のこのニュースですが・・・。

古市憲寿氏に小沢氏が激怒した問題で討論主催者謝罪

ネットで見てみたんですけど、これで激怒ってことになるの? 小沢氏は的外れな質問をされても怒ることもなく、ごく普通に返していると思うんですが・・・。

形だけの謝罪のあとは確かに不快感を表しつつたしなめていますが、それにしても「激怒」という表現は合ってないと思う。激怒っていうのはこういうやつを言うんじゃないかと。でも、この記事だけじゃなく、結構いろんなところで「激怒」って書かれてるんですよね。

それで思ったこと。

うちにはテレビがないのでバラエティ番組はめったに観ないのですが、それでも「ひな壇芸人」と呼ばれる人たちのことは知っています。たまに病院の待合室なんかでバラエティ番組を見ると、みんな司会者に振られたら瞬時かつ見事におもしろい返しをしていて、すごいなーと感心してしまいます。

いまのテレビはそういう時代なんでしょうね。とにかく瞬時に、見ている人の想像を上回るようなおもしろい返しができないと生き残れないし次がない。人気や生活にも直結するわけだろうし、まさに戦場のような場所なのでしょう。

で、今回の小沢氏ですが…。普段テレビを観ない私にとってはごく普通の返しだと思ったんですが、バラエティ番組の返しを見慣れている視聴者にとってはものすごく違和感のあるものだったのではないかと。小沢氏はテンション低く普通に返したので、見ている人にとっては「お約束」を破棄した「激怒」に感じられてしまったのではないか、と思うわけです。

最近はひな壇芸人さんだけでなく、アイドルやら女優さんやらもみんなこなれた返しをされます。テレビに出る以上、政治家にもそれが求められる時代にたぶんなっていて、だからこそ東国原氏やら橋下氏がもてはやされるんだろうけど…。でも、それってほんとに必要なのかな。別に普通の会話でいいですやん。返しのうまさよりも、当選して何をしようとしている人なのか、それをきちんと考えて選ぶべきだと思うのですが…。

だいたい、最近は「激」とか「○○すぎる」とか「ド○」とか「放送事故レベル」とか安易に使い過ぎです。「ド○」なんて、関西で育ったら私からすると「極端に」というかなり強い意味だぞ。「ドS」なんて、ほとんど命を奪うか奪わないかギリギリのところまでいじめるような人だぞ。軽々しく「ドS」なんて使ってはいかん。普通に「S」ではいかんのか、と強く思います。

ちょっとしたことに「激」だの「ド」だの付けちゃうから、ほんとに深刻な状態になったときに、それを形容する言葉がなくなってしまう。「激激」とか「ドド」とか付けてもピンとこない。「2万%ない」も全然ピンと来なかったでしょう? 言葉のインフレを引き締めないと、深刻度や激しさを適切に伝えられなくなってしまいます。

ちなみに、いま日本国憲法は激激ドドピンチだと思っています。「改憲が争点」って、もう25年くらい前から毎回ずっとそうですよ。少しずつ地ならしがなされていて、いまやっと表に出てきただけです。憲法は理念なんだから一文も変えるとこないですよ。変えたいのなら法律で十分です。本質を見失わずに投票してほしいと思います。

2015年2月23日 (月)

小保方さんの騒動から学ぶべきこと。

2014年に話題になった人物の1人が小保方さん。STAP細胞とやらの発表で持ち上げられたかと思いきや、あっという間に大バッシングに遭ってしまった人ですね。検証実験でSTAP細胞を再現できなかったこともあり、いまでは不正の疑いがあるとかないとか。

この話題は、世間ではものすごく大きく取り上げられ続けたわけですが、実は私はほとんど関心がありませんでした。

だって、文系でかつ大した知識もない私にとっては、STAP細胞が何の役に立つのかよくわからないし、他のさまざまな分野での発見と比べてどのようなニュースバリューがあるのかもよくわからない。少しでも知識があれば興味を持てたのかもしれないけど、いかんせん何の知識もないし、今さら付け焼刃の勉強したところでとてもきちんと理解できるとは思えない・・・。「みんなほんまにわかって感心してるんかな」というのが正直な感想でした。

その後の不正うんぬんの話についても、あの手の話は結構どの世界でもあり得ると思うんですよね。功名心から、あるいは利権がらみなどの理由で不正が行われることは、大して珍しい話ではないかと。

「実は小保方さんは不正を働いていなくて、悪いやつにはめられた」的な陰謀論についても、「そういうこともあるかもなー」という程度の感想で・・・。だって、いかんせん科学は全然わからんもん。判断のしようがない。

ただ、そんな私でも確かに理解できたのは、理化学研究所クラスの研究発表でも、精度はあんなもんなんだ、ということです。理研は日本におけるトップクラスの研究機関なわけでしょう?その研究発表においても、結論が間違っていることはあるし、不正が入り込む余地もある。だって、たとえ小保方さん1人が極悪人だったとしても、他のチェックする人たちは見抜けずに表に発表しちゃったわけで。小保方さんの騒動で、科学のわからない私のような人間が学ぶべきことはその1点に尽きると思います。

話は変わりますが、西日本では停止していた原発の再稼動への手続きが着々と進んでいます。新基準の適合性検査が原子力規制委員会によって進められ、ゴーサインが出されている状況です。

日本の新基準は世界でも非常に厳しいと言われていますし、原子力規制委員会のメンバーは我が国における原子力やら地質学やらの専門家ぞろいです。だったら大丈夫なのでは・・・などと思ってしまいますが、ここで小保方さんから学んだことを考えます。科学的に策定された新基準にも、間違いや不正はあり得ます。また、専門家がゴーサインを出したからといって、問題がないとは言いきれません。

ましてや、原発に関してはものすごい利権がからんでいるわけで・・・。はじめに結論ありきの再稼動のようにも思えてしまうし、正直、信頼性はSTAP細胞よりも低いような気がします。

で、もしもゴーサインがSTAP細胞だったとしたら、どのような実害が考えられるでしょうか。小保方さんの場合は、研究費が無駄になってしまったり、理研の信頼性が低下したり、残念な話ですが自殺者が出てしまったりしました。それはそれで大きなことなのですが、原発の場合、天災やら何やらでもしも事故が起こってしまうと、それこそ桁がいくつも違うくらいのデメリットが想定されます。経済的にも、健康被害という点においても、です。下手したら日本が滅びてしまうくらいの損害だってないとは言いきれません。

だとすると、再稼動しなくても電力をまかなえるのであれば、しない方向で努力すべきではないかと考えてしまいます。少なくとも現政権下での再稼動は、バイアスがかかっているので危険ではないかと。

小保方さん個人を持ち上げたり叩いたりするのも楽しいかもしれませんが、「騒がれていないだけで、あるいは表に出ていないだけで、どこの世界にもあの騒動はあり得る」という点にもう少し注目すべきではないかと思います。

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2013年2月 3日 (日)

高校生の自殺者数

警察庁自殺統計原票によると、平成23年に自殺した高校生の数は、全国で269人です。

大阪府に限定すると、高校生を含む学生・生徒等の自殺者は68人。当たり前の話ですが、68人はそれぞれ学校に通っていたわけなので、自殺者を出した学校数は1年間でのべ68校ということになります。

自殺の原因はきっと1人ひとり違うと思います。経済的な問題かもしれないし、いじめがあったのかもしれないし、病気に絶望したのかもしれないし、単に生きるのが面倒になったのかもしれない。もしかしたら教師による体罰や暴言などがあったのかもしれませんね。

さて、桜宮高校の体罰問題。私は当事者ではないので、橋下さんの方針が正しいのか間違っているのか、それはよくわかりません。ただ、どうしても考えてしまうのは、多くの人に注目される自殺がある一方で、ほとんど注目されずに死んでいった例がたくさんあるということ。

繰り返しますが、平成23年だけで全国で269人の高校生が自殺。すごく残念なことですが、高校生の自殺なんてちっとも珍しくないんですよ。単純計算で1.5日に1人がどこかで自殺しとるわけで。たまたま今回のケースが、ある種の人々にとって利用価値があったということですよね。

なんだか話題が柔道界の体罰問題に飛び火したり、体罰ばかりが注目されています。個人的には、体罰をなくすことだけではなく、自殺者を減らすことに関心を持つべきでないかと思います。体罰をなくすのは、自殺者を減らすための1つの手段ではあるけれど、それだけでは自殺者が劇的に減ることはないと思う。

また、今回の体罰問題の結果としてどのような世論が形成され、どのような法整備が行われるのか。それを慎重に見極める視点が必要だと思います。

2012年6月 7日 (木)

立ち上がれワタナベ一族

節分には「鬼は外!福はうち!」といって豆まきをしますが、豆まきをする必要がない人もいるらしく・・・。なんでも、苗字が「渡辺」の人は豆まきをしなくてもよいそうです。その由来は大江山の鬼退治伝説で有名な渡辺綱(わたなべのつな)にさかのぼるらしく、鬼が渡辺さんを怖がるので、豆まきする必要がないとのこと。

でも、鬼退治には源頼光とか坂田金時も行ったわけで、渡辺綱だけを怖がるのはおかしいような気もします。渡辺さんだけじゃなくて坂田さんや源さん、卜部さん、碓井さんも豆まきしなくていいはずですよね・・・。実のところ、私もこの逸話を信じてるわけではないんですが、いきなりこの話題から入ったのは、渡辺邸の話を書きたかったから。

大阪府指定文化財だった民家「渡辺邸」が、解体されることになったそうです。詳しくはこちらに載っています。

渡辺邸は、渡辺綱の子孫と伝えられる渡辺九良左衛門尉源忠綱が建てたおうちらしく、建築年は1600年代と推定されるとか。歴史上の建築物でいえば、日光東照宮よりも古いはず。大阪市内でおそらく一番古い民家らしいですよ。それを解体してしまうなんて・・・。

400年間も守られてきた建築物が壊されて、マンションやら駐車場やらになってしまうと考えると、なんだかクレージー過ぎてため息が出てしまいます。レオパレス21とかタイムズなんかに変わったら目もあてられない。壊すのはたぶん一瞬でできるけど、壊してしまったら二度と元に戻すことはできません。

渡辺邸は個人の持ち物なわけですが、もはや自由に処分してよいレベルの邸宅ではないような気がします。なんとか解体を回避する方法はないだろうか。きっと、お金の問題がいちばん大きいんでしょうね・・・。

個人的には、ここは全国の渡辺さんが立ち上がるべきではないかと思います。お金とか権力を持っていそうな渡辺さんって、ちょっと考えるだけでもたくさんいるんですよね。ワタミの渡邉美樹氏とか、読売新聞の渡邉恒雄氏とか。この際、普段の罪滅ぼしに渡辺邸を救ってみてはどうですか。

あ、渡辺謙氏とか渡辺喜美氏もお金持ってそうですよね~。鬼がやってこないせいか、渡辺さんには成功者が多いような・・・。渡辺芳則氏とか渡辺二郎氏とか、渡辺真理奈とか渡辺まゆゆとか世界のナベアツとかワタナベイビーとか「ノルウェイの森」の主人公とか、この際、全ワタナベの総力を結集して渡辺邸の解体を防いでほしいなあ、と思います。

ちなみに、渡辺邸は私の家から結構近いので、先日実際に見て来ました。もちろん、民家なので外から眺めるだけでしたが、茅葺き屋根が見えて確かに独特の雰囲気・・・。鬼束ちひろや鬼塚勝也はきっと近寄れないのではないか、と思ったのでした。

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2012年1月14日 (土)

国民投票のルール

みんなで決めよう「原発」国民投票プロジェクトによる「原発」国民投票の素案には、即時停止・廃炉の選択肢がなかったみたいですね。まあ、あくまでも素案なので「これから盛り込めばいい」と考えている人もきっと多いことでしょう。

前回載せた書評には、実は載せるにあたって割愛した部分がありました。直接的には関係がないと思ったので・・・。それが下記の部分。またまたタイムリーだと思うので載せてみます。ちなみに、3、4年前に読んだと思ってたんですが、きっと実際はもう少し前ですね。時が経つの早すぎ・・・。

ただ、憲法改正の国民投票は第96条に規定されているわけで、手続法の必要性について論理的に言われてしまうと、やはり護憲派の分が悪いのも事実。なので、私の意見としては、国民投票法案の審議自体に反対するよりも、むしろ対案を示して広く問うのが良いのではないかと思います。

対案の中には、国民投票が実施される際、確実に護憲派が有利になるようなルールを盛り込むべきです。どうせなら、改憲なんて未来永劫できそうもないようなルールを提示したらいいんですよ。

だいたい、護憲派がたいてい控えめかつ常識的な案しか出さないのに対して、改憲側はとことん増長した案を出してくるわけで、この構図からの脱却は必要だと思います。国民投票法の論議が避けて通れないんだとしたら、せめて厚かましく対案をぶつけて有利なルールにしないと・・・。

いずれにせよ、護憲派が作ったルールごと丸飲みさせるような形でないと、私は国民投票法には賛成できないな、と思っています。

憲法改正のための国民投票法は残念ながら既に成立して施行されちゃいましたが、今回の「原発」国民投票にも同じようなことが言えると思っています。要は、ルールを誰が決めるんですか、という話ですね。具体的には、選択肢の項目もルールの1つとなります。

ところが、素案の説明にはこんなことが書いてある。「この市民案全てが、採用されるよう務めて参りますが、最終的には国会での審議に基づき作成されることになります。」とのこと。

法案なんだからそりゃまあ当たり前の話なんですが、では審議する議員さん達は即時の原発停止に賛成なんですか?確か議会のほとんどは民主党と自民党の議員で占められているはずですが・・・。

たとえ素案に脱原発派に有利な項目が盛り込まれたとして、それを実際行われる国民投票に丸ごと持ち込めるんでしょうか。骨抜きにされたらどうする?選挙を経て闘う?あるいはロビイスト活動やデモや署名運動で?それも可能かもしれないけど、ずいぶん回り道するなあという印象です。

「国民投票をすれば民意が的確に反映される」と考えてしまいがちですが、結局のところ、選挙で多数派をとることからは逃れられないんですよ。議会の多数派がルールを決めるわけです。自分たちに都合のいいルールを。選挙制度なんてその典型じゃないですか。

その程度の認識は最低限持った上での「原発」国民投票運動じゃないと、あっけなく足元をすくわれると思います。

なので、私は諮問型の国民投票を封じ込めようという気はそんなにないんですが、今のところは賛成でもありません。憲法に規定されているのならともかく、何も今わざわざ新しく創設して権力側の土俵にのらなくてもいいと思う。

もちろん、署名活動にがんばっている方々の努力には敬意を持っています。原発に関する議論が盛り上がるのもいいことのはず。ただ、「ベクトルは大丈夫ですか」と少し切なく思っています。前回書いた改憲潮流との関係と、今やるべきことの優先順位について、少しだけ立ち止まって考えてもらえればなーと思います。

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2011年12月16日 (金)

リスクを引き受ける覚悟

この冬も、東京電力の社員さんにはボーナスが支給されたみたいですね。

東京電力 昨冬のボーナス84.4万円から大幅減の37.4万円に

今回の原発事故に関しては、これまで原発を黙認してきた私たちにも責任があると思っています。なので、私は安易に東電や政府を叩いて溜飲を下げようとは思わないんですが、それでも1つだけ、どうしても気になることがあります。

それは、リスクを引き受ける覚悟について、です。

当たり前の話ですが、どんな職業にもリスクというものが存在していると思います。自衛隊に入ったら、万が一戦争が起こったときには戦わなければならないし、消防士になったら火事を消すときに大やけどをしてしまうかもしれない。カーレーサーは事故が起こったときには大怪我するだろうし、大工さんにももちろん、屋根から落ちてしまうといったリスクがあります。

リスクは身体的なものだけではないわけで、例えば飲食店を経営する場合には、食中毒を出してしまったら終わり、というリスクがありますよね。もし出してしまったらお店の信用はがた落ちだし、おそらく収入も大幅に減ってしまうでしょう。だからこそ、食中毒対策には万全を期すんだろうし、万が一出してしまったときの覚悟を心の中に秘めつつ働くべきなんだと思う。

また、働こうとしている業界が斜陽産業だったとしたら、当然「将来仕事を失うかもしれない」といったリスクがあるわけですよね。職業を選ぶときは、自分がやってみたい仕事とそうしたリスクを勘案した上で、覚悟を持って判断するべきなんだと思います。

では、東電で働くリスクは何かというと、その筆頭として考えられるのは当然、原発の安全性に関わる問題だったはず。人為的な事故にせよ自然災害にせよテロにせよ、危険なものを扱っている会社なんだから当然そうしたリスクはあるわけだし、それらのリスクを踏まえた上で就職先に選んでいるはずですよね。もし電力会社が高待遇なんだとしたら、きっとそれらのリスクを上乗せした結果の待遇なんでしょう。

で、今回はその恐れていた事態が起こってしまった。となると、お給料が下がってしまうのは当たり前だし、ある程度世間から後ろ指をさされてしまうのも当たり前でしょう。念のために書いておきますが、私は別に彼らの給料を下げろとか、堂々と顔を上げて歩くなとか言いたいわけではないですよ。ただ、そうしたことは当然、覚悟の上だったんでしょ?と言いたいわけです。

それなのに・・・。なんか、今回の東電の対応を見ていると、そうした覚悟がまるでなかったように感じてしまいます。上の記事に出てきた社員さんも、ボーナスを生活費に組み込んで生活レベルを上げていたわけですよね。リスクを想定していたら、そんな安易なことはしていないはずだと思います。

まさか、まさかまさか、リスクについて何の覚悟もなく電力会社で働いていたのか?だから安全対策も重要視してなかったの?だとしたら、なんだかため息が出るし、脱力してしまいます。

少し話がそれますが、イラク戦争のとき、米軍兵士がイラク人の捕虜を虐待していたことがニュースとなりました。でも、当時私はちっともびっくりしなかったし、むしろ不祥事としてでかでかと報道されていることのほうに驚いていました。だって、そりゃ虐待もするやろ。戦争なんだから。

彼らはつい先日まで憎み合って殺し合っていたわけですよね。いくら停戦になったからといって、突然人道的に扱うか?そんなモラルを無邪気に期待するなんて、どんだけおめでたい話なんだと思う。

米軍の兵士たちは、捕虜の何十倍も何百倍もの人たちを殺してきたわけで。国際法や軍隊の規律はもちろんあるわけですが、極限の状況で、全員が全員そんなに冷静に行動できるわけがない。戦争とか殺し合いなんてそんなもんだと思うし、だからこそ、いかなる戦争にも賛成してはいけないわけです。小泉さんは早々に支持したし、世論も味方したけどね。

戦争を支持するんだったら、捕虜の虐待はもちろん、学校に行くのを楽しみにしているかわいい子どもが殺されることや、結婚式を控えたカップルが爆弾で死ぬことや、出産を控えた妊婦さんが爆発することや、赤ちゃんが一生障がいを背負って生きることなどは当然覚悟しなければならないはず。それがリスクを引き受けるということですよね。

当時、イラク戦争を支持していた人たちに、本当にその覚悟があったのかは甚だ疑問に思います。捕虜の虐待くらいで驚いてたわけなんだし。

東電を叩くのもいいですが、原発や戦争のリスクと、それを引き受ける覚悟について、私たち自身もしっかりと考えて行動しなければいけないと強く感じています。

ちなみに、東電社員のボーナスについては、過去にこちらにも書いています。愛社精神という観点からあれこれ書いてみました。

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2011年11月28日 (月)

選挙結果あれこれ

大阪府知事・大阪市長選挙が終わったので今回は好きなことを書きます。結果が出るまでは、あまりバイアスのかかったことは書きたくなかったので・・・。大切なのは1人ひとりが自分の頭で考えることですよね。

橋下氏は、大阪都構想なんて本当はどうでもよかったんだと思います。選挙に使える論点だったから設定しただけのはず。だって、大阪都なんて実態はようわからんし、明確に反対する人なんて公務員以外いないでしょ。公務員を抵抗勢力としてターゲットにできるのは願ったりだし、しかも、「東京に負けたくない」という大阪人のプライドはくすぐれる。なんとも絶妙なイシューです。

橋下氏の、このB層向けの論点を設定する能力は、本当にずば抜けていると思います。「郵政民営化」の小泉純一郎氏や、「減税」の河村たかし氏よりもはるかに。この2人は長年の信念だけど、橋下氏の「大阪都構想」は選挙用に設定したもののはず。しかも若くて頭が良くて演技力があって子沢山で口が立つんだから、本当に怪物ですよね。

では、本当にしたかったことは何なのか。それはこれから見えてくるわけですが、個人的には、職員基本条例と教育基本条例が優先的なテーマになるのでは、と思います。

多くの人たちは、大阪都構想の実現とともに、きっと「不当な既得権益にメスを入れてくれるのではないか」「厚遇されている公務員や天下りを何とかしてくれるのではないか」などの期待を持って2人の候補に投票したわけですよね。

本当にそれらのことをしてくれるのか?もちろん、それは私も期待したいところではあります。でも、実際は本当の既得権益にはパフォーマンス的にメスを入れるだけで、それよりもむしろ、思想・信条に基づいた職員の選別だけに力が入れられるのではないか。そう思えて仕方ありません。

つまり、不当で巨大な既得権益はそのままで、市長と思想・信条が違う職員だけが追い出される。そんなオチになりそうで怖い・・・。ただの危惧に終わったらいいんですが。

てか、今回の結果は、労働組合の責任がとても大きいと思います。言うまでもなく、今は労組=民主党・共産党・社民党だと多くの人が見なしているはず。

労組なんて本来は弱い労働者を守るべき存在のはずなのに、ほとんどの労組は強い労働者ばっかり守っています。中小企業で働いてたり、派遣社員で働いてたりしてたら、労組なんてほとんど無縁ですよ。本当はそういう人たちのために存在しないといけないのに。

公務員や大企業の労働者なんて今や勝ち組。役所や企業となあなあで、勝ち組だけを守る労組なんて、そりゃ既得権益の象徴としてポピュリストにターゲットにされますわ。

この機会に「労働組合とは誰のためにあるのか」「政党が守るべき労働者は誰なのか」という議論にまで結びつけないと、今後も同じような結果が続くように思います。要は、民主党・共産党・社民党は、既得権益を嫌う人たちの受け皿になれない、ということですね。

あーあ。なんか今考えたら、週刊誌が橋下氏の親族とかについてバッシングしてたのも、大阪維新の会側のリークではないかとか思えてきた。あまりに下劣な内容だったし、私も正直、あのときは橋下氏に同情しちゃったもん。もう何もかも信用できなくなってくる・・・。

あとは・・・そうやなあ。知事に当選した松井氏がどんな人なのかはよく知らないけど、知事のほうが市長よりも権限が大きいわけだし、みんなが松井氏をおだてて祭り上げてみたらどうかなあ。「当選したのは松井人気でっせ」「知事のほうが偉いでっせ」「知事のほうが多くの有権者から選ばれてまっせ」とか何とか言って。それで調子に乗って橋下氏と仲違いしてくれたら少しは面白くなるんだけど・・・。

あ、ちなみに、私は橋下氏が以前テレビで言っていた「有罪が確定するまでは実名報道すべきでない」という主張にはすごく賛同しています。人間は一面的ではなく複雑で多面的な存在のはず。大阪市長として、これから意外な一面をたくさん見せてくれたらいいな、とは期待しています。

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2011年11月18日 (金)

スマホさえあれば・・・

スマホが欲しくてたまらない今日この頃です。電車に乗るとスマホを使っている人をたくさん見ます。スマホで何をしているのかはよくわかんないんですが、なんとなくすごいことをしているような気がする。それに引きかえ自分の携帯は古くてださい・・・。

なので、近々スマホを購入したいと考えています。スマホさえあれば電車の中でも恥ずかしくないし、きっと女の子にもモテモテになるはず。仕事もうまくいくし、お金持ちにもなれるような気がします。交友関係も広がるだろうし、充実した毎日にスマホは欠かせません。少なくとも、現在のパッとしない人生は大きく変わるだろうし、ぜひ変えたいところです。うん、スマホさえあれば・・・。今に見ておれ。

・・・と、ここまで考えたところでやっと目が覚めました。いやいやいや!いくらスマホを購入したところで、私の人生はそんなに劇的には変わらないんじゃないかなあ。そもそもスマホなんてただのツールだし、大切なのはそれを使って何をするか、ですよね。

きっと、郵政民営化とか大阪都構想なんかも同じなんだと思います。耳障りはいいし、ものすごく良いものに聞こえるけれど、実際はスマホと同じでただのツールであり、ただのイメージ。大切なのはその中身ですよね。

そもそも、スマホが自分に必要なのかどうか、優先的に購入すべきものが他にないのかどうか。そして、スマホを買うとしても、それを使って何をしたいと思っているのか。そのあたりまでしっかりと考えるべきではないかと思います。そこまで考えた上で、それでも欲しい場合はスマホを買うなり、大阪都構想を支持するなりすればいいわけです。

よくよく考えてみたら、私は今はスマホよりも炊飯器が欲しいかな・・・。さて、おいしいごはんを炊いてくれるのは誰なんやろ。

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2011年10月21日 (金)

改革派官僚ってなんですか?

少し前の話になりますが、経済産業省の官僚である古賀茂明氏が辞職したというニュースがありました。「日本中枢の崩壊」「官僚の責任」などの著書で知られる古賀氏は、公務員制度改革に熱心であり、官僚の中でも確かに異色の存在だったようです。

私は古賀氏の著書をまだ読んでいないので、あまりえらそうなことは言えないのですが、それでも気になったことが1つだけあります。それは、古賀氏辞職のニュース記事のほとんどで「改革派官僚」という枕詞が当たり前のように使われていたこと。

言うまでもない話ですが、私は今の公務員制度が完全なものだなんて露ほども思ってないし、官僚に全幅の信頼を置いているわけでもありません。ただ、この「改革派官僚」という安易な表現にはものすごく違和感がありました。なんですか、「改革派官僚」って。

その表現を聞いたとたん、頭の中に「改革の中身は何なの?」「どの分野の改革なの?」「どんなふうに変えようと思ってるの?」「変えたことによってどうなるの?」などの疑問があふれました。それらの疑問にちゃんと答えてくれる人がいったいどれだけいるんでしょう?公務員制度改革にしても原発事故対応にしても、かなりテクニカルで難しいテーマだと思うんですが。

問題は2点あると思います。1つ目はテーマを単純化してしまっているという点。

「改革派」の反対はおそらく「守旧派」なんでしょうが、そのような2項対立の構図にしてしまうと、読み手は思考停止に陥ってしまいます。なんとなく「改革派」が正義の味方で、「守旧派」は悪者のようなイメージがありませんか?本当は細やかな議論を丁寧に積み重ねていかないといけないはずなのに、単なる善悪二元論の乱暴な議論に終始してしまう可能性があります。

2つ目は、人物を単純化してしまっているという点。ひとはもっと複雑で多面的な存在だと思います。

だいたい、経済産業省は貿易・エネルギー・産業振興などめちゃくちゃ広い分野を扱っているわけで、確か特商法とか独禁法なんかも経済産業省の管轄だったはず。それら1つひとつの分野について、「改革派官僚」は全部「改革派」なのでしょうか?「この分野では改革派だけど、別の分野ではそれほど改革派ではない」という面があって当然なはず。ほんまに改革派やったら天皇制も自衛隊も全部解体せえよ、とか毒づきたくもなります。

念のために書いておきますが、私は古賀氏について詳しく知っているわけではないし、彼の提唱する「改革」に反対しているわけではありません。天下りは禁止してほしいし、東電にはしっかり責任を取ってほしいと思っているので、むしろ賛成に近いのかもしれない。

ただ、「改革派」なんていう言葉は安易に使ってほしくない、と強く思っています。いい加減、思考停止はやめましょうよ、と思う。面倒くさいけれど、中身についてしっかり考えないと、口のうまい人たちにまたまた利用されてしまいますよ。

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2011年7月28日 (木)

アヘン・たばこ・原発

かなり昔の話ですが、テレビ番組で上岡龍太郎氏が「芸人は末路哀れを覚悟の上じゃなかったらいかん」という内容の話をしていました。いわく、好きなことして好きなもん食べてちやほやされて過ごして、それで老後も安泰なんて許されるはずがない、とのこと。

もともとは桂米朝氏が落語の世界に入ったときに師匠から言われた言葉らしいですが、上岡氏もそう思っているらしく「最後は餓死でもいい」と話していました。

実際に上岡氏が末路哀れになるのかどうかはともかく、どうしてそんな話を今さら思い出したのかというと、この記事を読んだから。

JTがスーダンのたばこ大手買収へ、成長市場での展開を強化

要するに、たばこは先進国では売りにくくなっているので、発展途上国での販売とシェア獲得を狙う、ということですね。アメリカや日本では今や、たばこの広告を打つことすら難しくなっているし、禁煙への流れは明らかなわけで。潜在的な顧客がいて、販売しやすい市場に進出するのは、営利企業としては当たり前の戦略なのかもしれません。

実際、インドネシアなんかはものすごい喫煙国になっているらしく、少し前には子どもが慣れた手つきで喫煙している映像が大きな話題になりました。もちろん、たばこの普及と親のしつけは別問題なのかもしれませんが…。

インドネシアの2歳児、毎日40本の煙草をスッパスパ

福島瑞穂氏はコラムで、たばこと同じ構図が原発の輸出にも見られることを指摘しています。まあ、その通りなんだと思います。日本ではもう原発はいっぱいいっぱいだし、途上国に売るほうが手っ取り早いですよね。菅内閣の下で仙谷・前原両氏は熱心に輸出を進めてきたみたいだし。

私は経済に疎いので、たばこや原発を途上国に売ることが、本当に日本の経済を支えることに繋がるのかどうか、正直よくわかりません。また、売らないことによる日本経済へのダメージ、くらしへの悪影響もよくわからない。

でも、日本の会社が売らなかったらきっと他の国の会社が売りつけるんだろうし、結果として日本の豊かさが相対的に失われるということはあり得るんだろうとは思います。

なので、「たばこや原発を途上国に売るのをやめるべきだ」と言い切ることは難しいのですが、それでもひとことだけ言いたい。少なくとも「今の豊かな暮らしは、たばこや原発を途上国に売りつけることによって成り立っている」という自覚ぐらいは常に持っておくべきだと思います。

売りつけた結果としての経済成長は享受すればいいし、便利な暮らしも大いに楽しめばいい。ただし、上岡龍太郎氏の言葉ではないけど、末路は哀れであってもそれは当たり前ですよ、と。他人の犠牲の上に成り立った豊かさが、いつまでも許されるわけがない。たばこや原発の輸出を黙認している私たちが、畳の上でまともに死んでいいはずがない。

当たり前の話として、そうした覚悟は持っておくべきだと思います。

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