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書籍・雑誌

2012年3月 7日 (水)

《書評》A3 森達也著 集英社インターナショナル ★★★★☆

福島第一原発の事故以来、原子力や放射能に関する専門家がたくさんメディアに登場しました。その中には「メルトダウンはあり得ない」と説明していた人や、「放射能は体に良い」と主張していた人もちらほら見られました。彼らに対しては、特に脱原発の立場からは「御用学者だ」として厳しい批判が行われています。

御用学者の定義はさておき、原発の分野において、何らかのバイアスのかかった専門家が存在していることは、おそらく事実なんだろうと思います。

では、原発の御用学者の存在を目の当たりした私たちが、その事実から学ぶべきことは何でしょうか?それは、単に原発村を厳しく批判して溜飲を下げることなんでしょうか?

本書はオウム事件に関する作品なので:原発とは無関係だし、非常に重量級の内容です。オウム事件に詳しくない私ごときがあれこれ言えるような本ではないんですが、今回は「御用学者」という視点から少し書いてみたいと思います。

著者によると、今回の「A」は荒木氏でもオウムでもなく、麻原彰晃の「A」。本書で言及される内容は多岐に渡りますが、主となるテーマは麻原裁判の異常性についての指摘と、オウムが引き起こした一連の犯罪に対する考察でした。

著者の麻原裁判に関する主張は、実はとてもシンプルに思えました。すなわち、「まともで適正な裁判をしてくれ」という1点に尽きるのではないかと。

麻原裁判は被告人の死刑が確定し、既に結審してしまいましたが、そのプロセスは従来の刑事裁判と比べて、極めて異例な形で進みました。その一例として本書で挙げられているのが、被告人である麻原氏の異常な言動です。

麻原氏の言動は裁判の途中からおかしくなってしまい、家族や弁護人とまともなコミュニケーションが取れなくなっていたことが本書で示されています。家族や弁護人とコミュニケーションが取れないんだから、当然犯行に関するまともな証言が得られるわけがないし、裁判の戦略を立てられるわけもない。

で、麻原氏がおかしくなった理由が「精神疾患」によるものなのか、「死刑を逃れるための演技」によるものなのか。そこが、裁判を進めるかどうかを判断する上での大きなポイントになっていました。

勘違いされがちですが、著者の論点は、心神喪失者の行為について定めた刑法39条ではなく、刑事訴訟法314条の1。「被告人が心身喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない。」という条文についてです。

つまり、事件を起こしたときの麻原氏の責任能力の話をしているわけではなく、裁判中の麻原氏の訴訟能力についての話をしているわけです、このあたりは、一般的に混同されがちな部分ではないかと思います。

精神疾患なのか演技なのかは素人ではわからないわけで、当然専門家の出番となるはずですが、裁判所による精神鑑定はなぜかなかなか行われない。その間に弁護側は独自に6人の専門家に被告人との面会を依頼しますが、全員が「訴訟能力なし」と鑑定。彼らの多くが、適切な治療を行えば回復する可能性が高い、と判断していたとのこと。

治療によって回復したら、当然弁護側とも検察側ともコミュニケーションが取れるだろうし、事件についての証言も得られるはず。たとえ結果的に死刑になるとしても、判決が確定するまでのプロセスは法律に基づいた適正なものでなければおかしい。著者はそうした点を指摘して、裁判を一時停止して治療を行うことを主張しますが、私もそれはまっとうな意見だと思います。

さて、前置きが長くなりましたが、ここでようやく登場するのが西山詮医師。弁護側が依頼した6名による鑑定のあと、裁判所からの依頼で麻原氏の鑑定を行った西山氏は、麻原氏を詐病とみなすとともに、「訴訟能力あり」と判断します。結果として、麻原氏が治療を受けるという展開はなくなり、本人が大したことを語らないまま裁判は終わってしまいました。

ここで最初の話に戻りますが、原発の御用学者の存在を目の当たりした私たちが、その事実から学ぶべきことは何でしょうか?個人的には、すべてを疑ってみること、そして少し想像してみることだと思います。

言うまでもない話かもしれないけど、御用学者はきっと現在もありとあらゆる分野に存在しているし、過去にも山ほど存在していたんですよ。「専門家の見解」や「科学的な知見」なんてものは、政治やお金やイデオロギーや世論などの力によって簡単に歪められてしまう、ということですね。

西山氏がいわゆる「御用学者」だったかどうかは私には断言できません。ただ、たくさんの人が亡くなったオウム事件の裁判が、もしも御用学者の存在によってインチキな形で終わってしまったとしたら、それはとても不幸なことだし看過できないことだと思います。

原発事故をきっかけに、世の中の仕組みに関心を持ち始めた人はきっと多いはず。個人的には、脱原発だけに留まらずに、もう少し想像力を広く持ってほしいなーとついつい思ってしまいます。原発の御用学者については厳しく糾弾するのに、司法の御用学者については疑問すら持たない、というのではバランスが悪いですよね。

さて、麻原裁判は結局、一般的な刑事裁判と比べて異例尽くしのままで終わってしまいましたが、最後に著者の言葉を引用しておきたいと思います。

誰かに適正な裁判を受けさせる権利を守ることは、僕らが公平な裁判を受けるための担保でもある。

結局のところ、自分が当事者になるケースを想像できるかどうかなんだと思う。私は別に罪を犯す予定はないんですが、自分や家族が加害者なり被害者なり被告になる可能性を常に想像してしまうし、その場合にはまともな裁判であってほしいと思います。ただでさえ冤罪やら国策捜査やら別件逮捕やらが横行してる世の中なんだし。

ちょっと長く書きすぎました。本書は著者による麻原裁判の異常性についての指摘と、オウムが引き起こした一連の犯罪に対する考察が主なテーマになっています。後者の考察もとてもとても興味深いので、気が向いたらまた感想を書くかも。分厚い本ですが、頑張って読んでみることを最後にお勧めしておきます。

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2012年2月 9日 (木)

原理主義的な9条護憲派・・・

先日、今井一氏の著書「憲法九条」国民投票書評を載せましたが、少し補足・訂正が必要だと思ったので書いてみます。

書評では、私は今井氏のことを「改憲を望んでいると思われる著者」と書きました。この点が少し乱暴だったかなーと思って反省しています。というのは、この書き方だったら、普通に読んだら「今井氏は憲法9条を変えたいと思っている人だ」と受け取れるし、実は私自身も確信はなかったものの、そうではないかなーと思っていたからです。

でも、どうやらこちらのインタビューの書き起こしを読むと、今井氏は「原理主義的な9条護憲派」であるらしい。あらら、そうだったのか。となると、私は勘違いしていたことになるし、私の書き方は乱暴で誤解を招く表現だったと思います。訂正して反省しなきゃ・・・。

ただ、言い訳を2点ほど。まず、今井氏は9条については原理主義的な護憲派だそうですが、憲法全体に関してはそうではありません。例えば、2007年に行われたマガジン九条の対談では、以下のように発言されています。

スイスやイタリアが採用しているような、主権者の一定数の署名が集まったら必ず国民投票にかけなければならないという制度を、憲法を変えて導入すべきだというふうに考えています。

つまり、今井氏は「憲法を変えて国民投票を導入すべき」と考えているので、その意味では確かに「改憲を望んでいる」人なわけです。これが1点目。ちなみに、私は憲法を変えてまで国民投票を導入する必要はないと考えています。環境権やプライバシー権も、13条で問題なしという立場です。

次に、2点目ですが、著者は護憲の立場としては、あまりにも無防備で無戦略だと思います。その結果として、私は著者が改憲を望んでいるように誤解してしまいました。

著者の主張をものすごくざっくりと要約すると、まずは「改憲派は解釈改憲で自衛隊の海外派兵などを進めてきたが、集団的自衛権の行使は解釈改憲では無理。そこで明文改憲を目指すようになった」というのが現状認識。そして、「原理的な9条護憲派」の立場からは、「国民投票で改正案を拒否し、解釈改憲にストップをかけるべきだ」と主張します。

また、実際に国民投票を実施する際の条件として、著者は国会に注文を出しています。改正案が承認された場合と承認されなかった場合のそれぞれにおいて、「安保と自衛隊はどうするのか」という選択肢を国会は事前に明示しなければならない、という注文です。

で、著者が例として挙げているその選択肢を読んで、私はちょっとびっくりしてしまいました。具体的な条文の改正案(「改正」という言葉を安易に使っている点もちょっとどうかと思うんですが)は割愛しますが、それが承認された場合と、承認されなかった場合について、著者は次のように書いています。

○改正賛成派が多数を占めれば、自衛隊は日本軍になり、集団的自衛権の行使も可能となる。

●改正反対派が多数を占めれば、自衛隊を戦力・軍隊ではない組織にしなければならない。また、日米安保条約に基づく軍事同盟の体制も段階的に解消しなければならない。

えー、こんな2択を提示されて、本気で反対派が勝つと思ってるわけ?そりゃあ、私も究極的には非武装中立がいいと思っていますが、現状の世論やら選挙結果やらを見ている限り、とても反対派が勝つとは思えないんですが・・・。テポドンあたりが飛んできたときに、「自衛隊を戦力ではない組織に」なんていう方向に世論がなびくと思いますか?そもそも、自衛隊は既に既得権益になっていて組織票ががっちり入りますよ?

言うまでもない話ですが、国民投票になった時点で、もし反対派が負けたら平和憲法は変わってしまいます。なんでわざわざそんな道を選ぶの?てか、「国軍」にするか「戦力・軍隊ではない組織」にするか、なんていう極端な2択をなんで選ばないといけないの?

実際、著者は本の中で、2002年に行われた読売新聞の憲法世論調査を紹介しています。その中には「あなたは、今の憲法を改正する方がよいと思いますか、改正しない方がよいと思いますか。」という質問項目があって、56.9%が「改正する方がよい」と答えたそうです。

こんな現状認識を持った上で、あえて国民投票を主張する「原理主義的な9条護憲派」って・・・。読解力のないあほな私が「この人は憲法を変えたいんとちゃうか」と誤解してしまったのはそんな理由からです。まあ、言い訳なんですけどね。

私は今井氏は実際に護憲派なんだと思うし、それを疑うつもりは全くありません。ジョージ・W・ブッシュだって、もしも自分のことを平和主義者だと思ってるんだとしたら、確かに平和主義者ですよ。彼は彼のロジックと手段で、世界に平和をもたらそうとしたことになります。そのロジックなり手段が適切だったのかどうかはともかく。

ブッシュに例えるのは乱暴かもしれないけど、今井氏の場合も同じ。護憲派なのは確かだとしても、護憲のロジックと手段が適切なのかどうかは別問題だと思います。

長々と書きましたが、趣旨は「誤解してました。ごめんなさい。反省」です。出口の現代文でもやり直そうかと思います。

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2012年2月 7日 (火)

《書評》 この世界の片隅に こうの史代著 双葉社 ★★★★★

私は漫画にそんなに詳しいわけではないんですが、今までに読んだ中で一番かもしれない作品です。既に評価の定まった作品なので私なんかが感想を書くまでもないんですが、すごくお薦めなので取り上げてみます。

以下、ネタバレを少し含みますので未読の方はご注意ください。

この作品は上・中・下の全3巻なんですが、私は上を読んだ時点で、これはえらいことだと背筋を伸ばしました。寝転んでパパパッと読みとばす気にはとてもなれなかったです。

とにかく、1コマ1コマ、登場人物のすべてが愛おしくて仕方ない。戦況が悪化して、主人公たちの暮らしはどんどんまともではなくなっていくんですが、そんな中での日常的な笑いに、心の振り子がどんどん振り切れていきます。

下巻については、こちらのブログの解釈で正解だと思います。主人公・すずの救済と再生の物語。正直に言うと、私はそこまで深くは読めていませんでしたが・・・。ストーリーや台詞が印象的なのに加えて、技巧的にも練りに練られているわけです。

そして、バリバリ戦後生まれ(1968年生まれ)の著者がこんな作品を描いた。その事実に、なんだか希望を感じてしまいました。

当たり前の話ですが、この先、戦争を経験した世代はどんどん少なくなっていきます。彼らがいなくなったとき、日本はどのような道に進むのだろうか。戦争の教訓はきちんと生かされるのだろうか。その点は常に不安に思っていました。

でも、たとえ実際に経験していなくても、著者のようなきちんとした取材力と豊かな想像力と的確な描写力があれば、大切なことはきっと伝わるし、教訓は生かされ続けるはず。うん、大丈夫かも。この作品を読んで、そんな希望を少しだけ持つことができました。

作品の中で描かれている戦時下のくらし自体もすごく興味深かったです。米の容積を増やす炊き方である「楠公飯」なんて完全に初耳だったし。また、当時配給されていたお米は玄米だったけれど、そのままでは栄養の吸収が悪いので、各家庭で精米されたりしていたそうな。

うん、考えてみれば確かにそうですよね。玄米は食物繊維が多いぶん、栄養素の多くは吸収されずに排出されてしまう。現在では玄米はヘルシーな食材として注目されていますが、ヘルシーだと見なされるのは、私たちがカロリー過多の食生活をしているから。本当に栄養不足で困っているときには、玄米なんてヘルシーでも何でもないわけです。そんな当たり前のことを再発見してみたり。

話があちこちに飛びましたが、とにかくお薦めの作品なので機会があればぜひ。ちなみに、同じ著者の「夕凪の街 桜の国」もお薦めです。

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2012年1月12日 (木)

《書評》 「憲法九条」国民投票 今井一著 集英社新書 ★★★☆☆

「原発」国民投票に関する賛否が分かれる昨今ですが、旗振り役のみんなで決めよう「原発」国民投票プロジェクトの事務局長を務めているのが、ジャーナリストの今井一氏。

どこかでお名前聞いたことあるなーと思っていたら、私は3、4年ほど前に今井氏の著書を読んでいました。それがこの本。タイムリーなので、以下に当時書いた読書感想ノートをほぼそのまま載せようかと思います。

「憲法改正論議を主に九条に絞った上で、論点を整理して、改憲派・護憲派の主張をそれぞれバランスよくまとめた本」というのが一般的な認識でしょうか。ただ、改憲を望んでいると思われる著者のスタンスが露骨に出ているので、バランスは悪いです。あくまでも「改憲派がつくった本」として読む必要があります。

著者は、非常に明快な論理の持ち主であり、きっといい加減なことは許せない性格なんだろうと思います。九条問題についてもそのスタンスははっきりしていて、とにかく白か黒。あいまいな部分は認めない、という姿勢を強く感じました。

同時に、あいまいさを認めない、ガチガチな考え方の怖さも印象的でした。私自身は、論理が少々破綻してようと、手続きがいい加減であろうと何だろうと、結果として戦争に至らないことが最も大切だと思っています。要は、人が死なないことが大事であり、そのために論理が少々破綻したところで一向に構わない。これはきっと性格の違いなんでしょうね。あいまいさを認めない人たちとの議論は難しいのかもしれません。

著者は国民投票法案の成立を強く訴え、法案自体に反対する護憲派を強く批判しています。ここで感じたことは、著者の権力側に対する信頼です。著者の視点には立憲主義という要素がほとんど感じられず、権力への無防備な信頼が見えてしまいます。その点、護憲派は、権力側がつくるルールはそもそも信用していないんですよ。

古い話ですが、みなさん覚えているでしょうか。ソウルオリンピックでは鈴木大地選手がバサロ泳法で金メダルを取りましたが、その後すぐにルールが変わり、バサロで泳げる距離が制限されてしまいました。ほとんど普遍的な流れとして、権力を持っている人たちは、自分たちの思い通りになるルールをつくります。これは倫理うんぬんの問題ではなく自然なことであって、だからこそ権力側がつくるルールには安易に賛成してはいけないわけです。

なので、「護憲派が反対するのは無責任だ」とする著者の主張はとてもとても一面的です。護憲派が持つ権力への不信と、権力によるこれまでの悪しき実績について著者が全く触れないのは、意図的にせよ無意識にせよ、かなり悪質であると思います。

ボクシングの亀田興毅VSファン・ランダエタの初戦を観てもわかるとおり、私がメキシコ人ボクサーだったら絶対日本では戦いたくないと考えます。だって、フェアじゃないんだもん。

また、著者が提示する「憲法改正」国民投票の二択は本当にひどいです。1億もの人々が1人ひとり、いろいろな意見を持っているのに、勝手に分析して極端な2択を提示し、選択を迫る。小泉氏の郵政民営化と同じ手法です。世界はもう少し複雑で多様で豊かですよ、本当に。

最後に、著者に決定的に欠けている視点。著者は解釈改憲を強く批判し、現実と条文を一致させることが大切であると主張しています。

では、改憲後に再び解釈改憲が行われないという保証があるんでしょうか。ゆるくなった条文をさらに解釈改憲して、結果としてさらに再軍備の方向に進む、という危惧を抱くのは自然ではないでしょうか。その点に関する言及は全くなく、非常にアンフェアな本だと感じました。著者が頭が良い人であるのはわかるんだけど、私とは相容れないなという印象を持ちました。

今井氏って、原発を止めたい人というよりも、どちらかというと国民投票をしたい人なんでしょうね。そして、戦後70年近い平和憲法を守る運動というのは、改憲勢力による国民投票への流れを阻止する運動、という一面もあったわけです。

昨年6月にすり替え要注意を書きましたが、この時点では恥ずかしながら、国民投票というところまでには考えが及びませんでした。何らかのすり替えは行われるとは思っていましたが、まさに「私なんかでは思いもつかないような」ところだった・・・。

実際のところ、「原発」国民投票が実現するかどうかはわからないし、実現したところで結果がどうなるかもわからない。脱原発を実現できるかもしれないし、国民が民主主義について学ぶいい機会になる、という側面も確かにあるのかもしれません。

ただ、国民投票実施に向けて運動に取り組んでいる人たちの中には、本気で原発を止めたいと思っていると同時に、憲法九条を変えたくないと思っている人も多いはず。それだけに、少し切ない。彼らがカッコウのヒナにせっせと餌を運ぶ親鳥のようにならなければいいんですが・・・。

私は原発は即時止めてほしいし(地震などに対する安全性というよりも、廃棄物を出すからです)、憲法九条も変えてほしくないと思っているので、なんだかすっきりしない日々です。正直、普通にこれじゃあかんの、と思ってしまう。国民投票に賛成の人・反対の人を問わず、せめて自分の頭で考えようとする人が少しでも増えたらいいなーと思います。

次回に続きます。ちなみに、こちらに補足・訂正を書きました。(2月9日)

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